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田代まさしのブログ 「人生のズンドコにいるあるおとこのブログ」

田代まさし


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田代 まさし(たしろ まさし、本名:田代 政、1956年8月31日 -)は元タレント、アーティスト。Vシネマの監督も務めた。愛称は「マーシー」。シャネルズ(後のラッツ&スター)のメンバーとしての活動や作詞活動は田代 マサシの名義で行っていた。触法行為により芸能活動を停止している。


芸能活動の休止と謹慎

2000年9月24日に東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で女性の下着を盗撮しようとしている挙動不審な様子を通報者により不審人物として警察が任意同行を求め、事情聴取されタレント田代まさしと判明する。

東京都迷惑防止条例違反で書類送検。この時どのメディアもこの事件は全く取り上げておらず、そのことを疑問に思った通報者が各媒体に連絡を入れて徐々に公になる。この事件の時には覚醒剤を使用していなかった。

この事件や翌年の覗き事件により2ちゃんねるなどでは盗撮、覗き行為が「田代」「タシーロ」などと言われるようになり「画像ちゃんねる」のタイトルとして使われたり、Winnyにおける盗撮ジャンルのクラスタワードに使用されるなどの影響を及ぼす事となった。

同年10月4日にこの事実が発覚し、テレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ、「『ミニにタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と弁明した。その後、田代は一時芸能活動を休止した。

同年12月14日に東京簡裁から罰金5万円の略式命令が下った。

芸能活動再開

その後志村けんらが田代の芸能活動復帰を働きかけ、2001年7月頃に『ダウンタウンDX』、『めちゃ²イケてるッ!』、『ぐるぐるナインティナイン』等のテレビ番組、志村けんのバカ殿様等に出演し芸能界復帰した。

また、『HAMADA COMPANY 弾丸ヒーローズ』では番組レギュラーを目指して出発点の東京から沖縄まで目撃されずにゴールするという企画に挑戦した。結果的には滞在先の京都府にて写真100枚を撮られて失敗に終わったが、その後も連続してゴールデンタイムの番組にたびたび登場するようになった。


逮捕・契約解除

『HAMADA COMPANY』の最後の出演から間もない2001年12月9日、田代は男性の風呂場覗きで現行犯逮捕された。これを受け、当時田代の所属していたエムティエムプロダクション(現・ジャパン・ミュージックエンターテインメント)は同年12月11日付で田代の契約解除(解雇)を発表した。さらには自宅から覚醒剤が発見され、覚醒剤所持・使用発覚で再逮捕された。

これに対し、芸能界復帰に協力した志村けんは「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。

加えて、2002年1月に放送された『新春かくし芸大会』や『志村けんのバカ殿様』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のため田代の収録分は全てカットされお蔵入りとなった。フジテレビ側も「今後の彼の出演は考えられない」と語った。その一方で、これらの不祥事が2ちゃんねるで話題となり、「田代祭」と呼ばれる騒動が起きた。

この契約解除以降、田代は「元タレント」とテレビなどで表記される様になり、シャネルズ・ラッツ&スター時代も含めた田代の過去のVTRや写真が地上波において放送・公開される事が極めて難しくなり、またテレビの報道番組で刑事被告人又は犯罪者としては触れるが、「タレント田代まさし」について触れる事がほとんど無くなった。ただしCSの有料チャンネルなどでは、過去の出演作品がそのまま放送されている。

事実上の引退とその後

2002年3月、裁判で懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた。その後はVシネマ監督として復帰し『鯨道』シリーズなどを手がける。また2003年正月には『サンデージャポン』にVTR出演し、久々に喋り出すようになった。

2004年春頃にはテレビ界復帰も検討される様になったが、執行猶予中の2004年6月17日に青梅街道の「Uターン禁止」の場所でUターンした後、オートバイに乗った少年に衝突する人身事故を起こし書類送検され、鈴木雅之が田代の代わりに謝罪をし、復帰の件が白紙となってしまった。

さらに2004年9月20日夜に再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして銃刀法違反と覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕された。野方署の留置所に留置された田代は取り調べの時、何度も嘔吐や気絶を繰り返し、病院へ担架で運ばれ点滴を打つという事態にまで至る。本気で自殺を考えた田代だったが、夢枕に立った母親に止められたという。

本人は「芸能活動において日頃かなりのプレッシャーを感じていたゆえに犯行に及んだ」と弁明。また裁判所の法廷で裁判官から「(元々)タレントに向いてないのでは?」との問いかけに「そう思います」と小さく答えた。

なお、テレビ出演時に眼鏡やサングラスをしている事が多かったが、実際は伊達眼鏡で眼鏡なしではテレビに出演できないほどのあがり症だと『徹子の部屋』で話したことがある(一部ドラマや『志村けんのバカ殿様』でのみ眼鏡なしで出演している。また、眼鏡メーカーのCMや広告に出演したことがある)。

この不祥事に対して桑野は「もうやってしまった事なので、罪を償ってしっかり心と体を洗い流して欲しい」「二度と芸能界の敷居はまたいで来るな」とコメント。その他多くの芸能関係者が彼の不祥事についてコメントした。


懲役

2005年2月7日、東京地裁で開かれた判決公判で執行猶予中の再犯のため等を主な理由とし懲役3年6月の実刑判決が下され、同年3月16日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定し、事実上の芸能界引退となったが、上記の影響からか、服役中に睡眠薬、精神安定剤の服用をしていることが話題になった。

美川憲一は「(刑務所から)出てきたら私のところに来てちょうだい。付き人でも何でもさせて一から叩き直してやるわよ」と述べている。収監前から既に妻子とは別居状態にあったが、服役中に正式に離婚が成立した。

収監中、田代は障害者や老人が作業する工場で刑務作業に従事していたという。

性欲が減退する薬をお茶に混ぜられたと語っている。


芸能界を去った後も、田代はネタにされることがしばしばあり、日本テレビ系『エンタの神様』では、青木さやかが名前の一部を隠す傍ら、「タンスの中にカメラが入ってます」と発言したり、田上よしえが「田上のたは田代まさしのた、よしえのしは田代まさしのし」と発言しており、同じく日本テレビ系『笑点』でも三遊亭楽太郎が「来賓で出席予定の田代まさし様、萩原健一様が来なかったことをお詫び申し上げます」という答えを言ったりしている。

また、ダンディ坂野が「ゲッツ・アンド・リターン」の後にかつて田代がバラエティ番組にて小ネタとして使っていた「お久しブリーフ」と発言したりしている。逆に、志村けんが自身の番組のDVD発売記念に「最近見ない家来はもしかしてホリエモンと一緒になったか?」、「5年前にリリースして欲しかった。」と連想的な発言をした事から、発売記念会見の一部がテレビではオンエアできない状態になった。

TBS系では、時々『アッコにおまかせ!』などで田代を名指しで取り上げることもあり、TBSラジオの『ストリーム』では、番組内のクイズで当時の事件が取り上げられるなどした。


出所

栃木県の黒羽刑務所に収監されていた田代は、刑期から未決勾留日数が引かれ、2008年6月26日午前8時半に満期出所した。

仮釈放がつかなかったのは、身元引受人がいなかったためという。7月16日、阿佐ヶ谷ロフトAにて、雑誌『創』篠田博之編集長主催のトークイベントに出演し、記者会見を行った。

会見では一部ろれつが回らないなど、心身ともに衰弱している様子が見受けられた。田代自身、不眠で医師の処方を受けていることを打ち明けている


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広瀬香美のサイト 「Hirose Kohmi Official Website」

広瀬香美


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広瀬 香美(ひろせ こうみ、1966年4月12日 - )は、日本のシンガーソングライターである。本名は米光 麻美(よねみつ まみ)。JVCエンタテインメント所属、ビクターエンタテインメントと契約。福岡県太宰府市出身。芸名の「香美」は「call me」をもじって自ら命名。尊敬する音楽家はデイヴィッド・フォスター。元夫は俳優の大沢たかお。血液型O型。


略歴

4歳からピアノ、そして5歳から作曲を習い始める。福岡女学院中学校・高等学校(音楽科)を経て、国立音楽大学音楽学部作曲学科卒業。

幼少期から和声学などクラシックの作曲法を学ぶ。第一号作品を作曲したのは6歳で、タイトルは『パパとママ』である。(この曲は自身の初めてのコンサートツアーで弾き語りによって披露された。) 初めて買ったレコードはバッハの『マタイ受難曲』。この作品には作曲法が詰まっていて作曲のルールを身につけるための勉強になるからという先生からの教えで、夕食中などにも聴き続けていた。

小中学生の頃が自身の作曲家人生のピークだったと本人が語っている。日夜、夢の中でもひたすらメロディを考え頭の中に浮かべ続けていたという。

新しいメロディが浮ぶとその場ですぐ紙に五線譜を書いてメモを取っていた。広瀬香美の作品として発表している楽曲の中にこの当時に作成したメロディを使っていることも多い。当人の楽曲になぜメロディの起伏が激しいものが多いかというと、元々人が歌うためのものではなくピアノやバイオリンなど楽器のために書いていた曲だったからである。

中学、高校生時代にはよく通学中に作曲していたという。『ロマンスの神様』のサビ以外の部分は井尻駅前バス停で、『愛があれば大丈夫』のサビは六ツ角歩道橋の上で作られた。[2]

大学時代にはクラシックの規則からはみ出しがちな曲を書いていた。そのため15人ほどしかいない学科内で一番成績が悪かった。大学1年の時に先生に呼び出され「将来何になりたいのか」と聞かれ、「作曲家です」と答えると、「無理です」といわれる。このことがきっかけとなり、高校時代の友人を訪ねに遊びに行くためにロサンゼルスに旅立った。

そこでマイケル・ジャクソンやマドンナ (歌手)のライブを見て感激し、ポップ・ミュージックに目覚める。自分が書き溜めてきたクラシックの楽曲を編曲してマイケルが歌ったら売れるのではと考え、マイケル・ジャクソンに曲を提供しようという夢が生まれた。[1]なお本人は未だこの夢を持ち続けている。

ポップ・ミュージックの勉強をしながらLAに滞在していた時に、マイケル・ジャクソンのヴォイス・トレーナーであるセス・リグス氏のオーディションを受ける。そこでマイケルに少しでも近づくため、作曲やプロデュースの勉強をさせてくれないかと直訴した。

結果、歌ものの曲を書きたいのならボーカルトレーニングも受けておくことを勧められ、東洋人で初めての合格者となり約3年間師事する。トレーニング修了後、ロサンゼルス在住の日本人ギタリスト平野T.J.ヨーイチ氏と出会い、デビューに向けてデモテープを制作した。

帰国後の1992年7月、アルバム『Bingo!』でビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)からデビュー、同年12月には、1stシングル『愛があれば大丈夫』をリリースした。翌年1993年のアルペンCMソングになった3rdシングル『ロマンスの神様』はオリコンチャートで170万枚を越える大ヒットとなりブレイク。それ以降、『幸せをつかみたい』『ゲレンデがとけるほど恋したい』『promise』等、数々のヒット曲を生み出す。

冬にヒットする曲が多いことから「冬の女王」とも呼ばれているが、広瀬本人にはそう言った自覚は全くないらしい。「なぜなら、(ヒットした曲が多い)アルペンのCMソング等は実は夏に書いているから」と語った。

ちなみに夏の曲も書いており、シングル『夏だモン』や広末涼子に提供した『summer sunset』などがある。現在は「冬の女王」という呼称にさほど抵抗はないように見える。ただ、これだけ冬の歌を多く書きながら、クリスマスにライブを行ったことがあるのは、2005年の広島郵便貯金ホールで行われた招待制の無料ライブと、2007年のコンサートツアー「香美別邸」恵比寿ガーデンホール公演の2回だけである。

ハイトーンで音域が広く、声量のある歌唱力で、ソングライターとしても評価が高い。その歌唱力から、普通の声量・音域の人がカラオケで歌うのは非常に大変だが、本人も、酒を飲んだりしてコンディションが悪い時には、自分の歌が歌えなくなるとの事である。

また広瀬自身も大のカラオケ好きであり、2007年の全国ツアー「GIFT+♪幸せは冬にやってくる♪」ではDAM(第一興商)との連動企画を実施。ツアー最終日の3月24日渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)公演にて、課題曲「サプライズ未来」(アルバム「GIFT+」収録曲)のランキングバトルで全国1位を獲得した人と「ロマンスの神様」で採点対決を行った。結果は広瀬の勝利で、本人は非常に喜び満足していた。

1999年3月、映画『ゲレンデがとけるほど恋したい。』をきっかけに知り合った俳優の大沢たかおと結婚したが、2006年11月28日に離婚が報道され、同日公式サイト上に「広瀬香美からのお知らせ」として「結婚生活に終止符を打つ事にいたしました」と離婚に関してのコメントを掲載した。

2008年10月28日、公式サイト上に「皆様へのご報告」として「私、広瀬香美は2008年10月12日に結婚いたしました」と一般企業に勤める米国人男性との再婚を発表した。なお再婚後も音楽活動は継続する。

現在は精力的に音楽活動を展開しており、ドラマ・映画・ミュージカルの音楽監督、多くのアーティストへの作品提供及びプロデュース等を手がける。またヴォイストレーナーとしても、1999年10月に設立し自らが校長を務めるヴォーカルスクール「Do Dream」において、生徒の指導にあたっている。また近年はライブ活動も積極的で、例えば2006年2月に東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアルで行われた「広瀬香美 presents HAPPY VALENTINE CONCERT with 東京フィルハーモニー交響楽団」において自らオーケストラの演奏指揮を執りながら歌う、などといったユニークな試みも随所に見られる。


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