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TAKUYAのブログ 「Takuya オフィシャルブログ」

TAKUYA

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TAKUYA(タクヤ、1971年9月9日 - )は、京都府京都市出身の日本のミュージシャン。 本名は、浅沼拓也あさぬまたくや)。血液型はO型。ユニバーサルミュージック所属。 現在はインディーズ活動と並行し、主に高橋瞳に楽曲提供を行っている。

元JUDY AND MARYのギタリスト。現在はソロ活動やプロデュース活動を行っており、ソロ活動の際にはTAKUYA名義とソロユニットのROBOTS(ロボッツ)名義を使い分けている。

スポーティーなイメージのギタリストで、そのギタープレイは独創性豊か。京都出身でも舞妓さんや芸妓さんの居る地区で育っており、「KYOTO」「イロトリドリノセカイ」「HOTARU」など、程よい色気がある女性的な曲がTAKUYAらしい特徴の一つ。

京都に数店舗ある喫茶店「あさぬま」は、TAKUYAの実家で経営している店舗。また四条にある「アサヌマ写真場」は叔父が経営している。
概要・来歴

小学校卒業後、父親の教育方針により当時全寮制だった長崎県の海星中学校へ単身入学(現在は全寮制ではない)。当時の先輩からギターを売ってもらったのがギターとの出会い。以来とりつかれたように弾き続け、先生に取り上げられても音楽室に忍び込んで奪い返すほどであった。中学3年で京都の公立中学へ編入。その後高校へ進学するも自主退学。

1989年、「Relish of Rose」というビジュアル系バンドでYAMAHA TEENS' MUSIC FESTIVAL に出場し、全国大会入賞(当時のボーカル加藤孝之赤P-MANは現在お笑い芸人としてオフィス北野所属で活躍中)。それがきっかけとなり加藤と共に音楽活動をすべく上京。バイトに励む。NHKの大道具としてバイトをしていた頃、大ファンだったデヴィッド・ボウイの影響でパントマイムを習う。

analersのヨウイチ率いるバンド・SKAFUNK(と書いてスカンクと読む。本来の表記はFにスラッシュが入っている)に途中から在籍するも解散。その後自身でROBOTSを結成してライブを中心に活動中、当時インディーズでCDをリリースしメジャーデビューに向けて準備中だったロックバンド・JUDY AND MARYへの加入を誘われる。自分以外のメンバーが揃っていた場でのオーディションで文句なしの一発合格を決めて加入、1993年ギタリストとして「POWER OF LOVE」でデビュー。

バンド中期以降はメインソングライターとして活動を支えた。2001年JUDY AND MARY解散。2002年ソロ活動を開始。現在はプロデュース活動とROBOTSでの活動を精力的に行っている。

またサッカーフリークとしても名を馳せ、自身では芸能人サッカーチーム「THEミイラ」に所属し、不定期ながらも試合に参加して活躍している他、『ORANGE SUNSHINE』には「special thanks to JUBILO」のクレジットが有るなどジュビロ磐田のファンとしても知られている。

また稲本潤一選手の大ファンで親交があり、稲本選手の後援会長でもある。尚、ヤマハスタジアムにあるサポーターズクラブメンバーズボードには10年以上会員の欄に「浅沼拓也」の名前がある。2008年には日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)ジェフユナイテッド市原・千葉レディースに所属しながら歌手活動も行う現役女子サッカー選手・石田美穂子(アーティストネームは「石田ミホコ」)のデビュー曲のプロデュースを行った。

現在は歌スタ!!の審査員として、不定期に出演している。

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田代まさしのブログ 「人生のズンドコにいるあるおとこのブログ」

田代まさし


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田代 まさし(たしろ まさし、本名:田代 政、1956年8月31日 -)は元タレント、アーティスト。Vシネマの監督も務めた。愛称は「マーシー」。シャネルズ(後のラッツ&スター)のメンバーとしての活動や作詞活動は田代 マサシの名義で行っていた。触法行為により芸能活動を停止している。


芸能活動の休止と謹慎

2000年9月24日に東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で女性の下着を盗撮しようとしている挙動不審な様子を通報者により不審人物として警察が任意同行を求め、事情聴取されタレント田代まさしと判明する。

東京都迷惑防止条例違反で書類送検。この時どのメディアもこの事件は全く取り上げておらず、そのことを疑問に思った通報者が各媒体に連絡を入れて徐々に公になる。この事件の時には覚醒剤を使用していなかった。

この事件や翌年の覗き事件により2ちゃんねるなどでは盗撮、覗き行為が「田代」「タシーロ」などと言われるようになり「画像ちゃんねる」のタイトルとして使われたり、Winnyにおける盗撮ジャンルのクラスタワードに使用されるなどの影響を及ぼす事となった。

同年10月4日にこの事実が発覚し、テレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ、「『ミニにタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と弁明した。その後、田代は一時芸能活動を休止した。

同年12月14日に東京簡裁から罰金5万円の略式命令が下った。

芸能活動再開

その後志村けんらが田代の芸能活動復帰を働きかけ、2001年7月頃に『ダウンタウンDX』、『めちゃ²イケてるッ!』、『ぐるぐるナインティナイン』等のテレビ番組、志村けんのバカ殿様等に出演し芸能界復帰した。

また、『HAMADA COMPANY 弾丸ヒーローズ』では番組レギュラーを目指して出発点の東京から沖縄まで目撃されずにゴールするという企画に挑戦した。結果的には滞在先の京都府にて写真100枚を撮られて失敗に終わったが、その後も連続してゴールデンタイムの番組にたびたび登場するようになった。


逮捕・契約解除

『HAMADA COMPANY』の最後の出演から間もない2001年12月9日、田代は男性の風呂場覗きで現行犯逮捕された。これを受け、当時田代の所属していたエムティエムプロダクション(現・ジャパン・ミュージックエンターテインメント)は同年12月11日付で田代の契約解除(解雇)を発表した。さらには自宅から覚醒剤が発見され、覚醒剤所持・使用発覚で再逮捕された。

これに対し、芸能界復帰に協力した志村けんは「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。

加えて、2002年1月に放送された『新春かくし芸大会』や『志村けんのバカ殿様』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のため田代の収録分は全てカットされお蔵入りとなった。フジテレビ側も「今後の彼の出演は考えられない」と語った。その一方で、これらの不祥事が2ちゃんねるで話題となり、「田代祭」と呼ばれる騒動が起きた。

この契約解除以降、田代は「元タレント」とテレビなどで表記される様になり、シャネルズ・ラッツ&スター時代も含めた田代の過去のVTRや写真が地上波において放送・公開される事が極めて難しくなり、またテレビの報道番組で刑事被告人又は犯罪者としては触れるが、「タレント田代まさし」について触れる事がほとんど無くなった。ただしCSの有料チャンネルなどでは、過去の出演作品がそのまま放送されている。

事実上の引退とその後

2002年3月、裁判で懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた。その後はVシネマ監督として復帰し『鯨道』シリーズなどを手がける。また2003年正月には『サンデージャポン』にVTR出演し、久々に喋り出すようになった。

2004年春頃にはテレビ界復帰も検討される様になったが、執行猶予中の2004年6月17日に青梅街道の「Uターン禁止」の場所でUターンした後、オートバイに乗った少年に衝突する人身事故を起こし書類送検され、鈴木雅之が田代の代わりに謝罪をし、復帰の件が白紙となってしまった。

さらに2004年9月20日夜に再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして銃刀法違反と覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕された。野方署の留置所に留置された田代は取り調べの時、何度も嘔吐や気絶を繰り返し、病院へ担架で運ばれ点滴を打つという事態にまで至る。本気で自殺を考えた田代だったが、夢枕に立った母親に止められたという。

本人は「芸能活動において日頃かなりのプレッシャーを感じていたゆえに犯行に及んだ」と弁明。また裁判所の法廷で裁判官から「(元々)タレントに向いてないのでは?」との問いかけに「そう思います」と小さく答えた。

なお、テレビ出演時に眼鏡やサングラスをしている事が多かったが、実際は伊達眼鏡で眼鏡なしではテレビに出演できないほどのあがり症だと『徹子の部屋』で話したことがある(一部ドラマや『志村けんのバカ殿様』でのみ眼鏡なしで出演している。また、眼鏡メーカーのCMや広告に出演したことがある)。

この不祥事に対して桑野は「もうやってしまった事なので、罪を償ってしっかり心と体を洗い流して欲しい」「二度と芸能界の敷居はまたいで来るな」とコメント。その他多くの芸能関係者が彼の不祥事についてコメントした。


懲役

2005年2月7日、東京地裁で開かれた判決公判で執行猶予中の再犯のため等を主な理由とし懲役3年6月の実刑判決が下され、同年3月16日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定し、事実上の芸能界引退となったが、上記の影響からか、服役中に睡眠薬、精神安定剤の服用をしていることが話題になった。

美川憲一は「(刑務所から)出てきたら私のところに来てちょうだい。付き人でも何でもさせて一から叩き直してやるわよ」と述べている。収監前から既に妻子とは別居状態にあったが、服役中に正式に離婚が成立した。

収監中、田代は障害者や老人が作業する工場で刑務作業に従事していたという。

性欲が減退する薬をお茶に混ぜられたと語っている。


芸能界を去った後も、田代はネタにされることがしばしばあり、日本テレビ系『エンタの神様』では、青木さやかが名前の一部を隠す傍ら、「タンスの中にカメラが入ってます」と発言したり、田上よしえが「田上のたは田代まさしのた、よしえのしは田代まさしのし」と発言しており、同じく日本テレビ系『笑点』でも三遊亭楽太郎が「来賓で出席予定の田代まさし様、萩原健一様が来なかったことをお詫び申し上げます」という答えを言ったりしている。

また、ダンディ坂野が「ゲッツ・アンド・リターン」の後にかつて田代がバラエティ番組にて小ネタとして使っていた「お久しブリーフ」と発言したりしている。逆に、志村けんが自身の番組のDVD発売記念に「最近見ない家来はもしかしてホリエモンと一緒になったか?」、「5年前にリリースして欲しかった。」と連想的な発言をした事から、発売記念会見の一部がテレビではオンエアできない状態になった。

TBS系では、時々『アッコにおまかせ!』などで田代を名指しで取り上げることもあり、TBSラジオの『ストリーム』では、番組内のクイズで当時の事件が取り上げられるなどした。


出所

栃木県の黒羽刑務所に収監されていた田代は、刑期から未決勾留日数が引かれ、2008年6月26日午前8時半に満期出所した。

仮釈放がつかなかったのは、身元引受人がいなかったためという。7月16日、阿佐ヶ谷ロフトAにて、雑誌『創』篠田博之編集長主催のトークイベントに出演し、記者会見を行った。

会見では一部ろれつが回らないなど、心身ともに衰弱している様子が見受けられた。田代自身、不眠で医師の処方を受けていることを打ち明けている


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